tarotarotaro勉強の場

ライター修行のためひたすら書きます!

実践

深夜のコンビニ行ってきた。丸刈りの店員が出迎えてくれた。

 

昨日は、ほぼ何もしなかった。午前中に記事を書いたが、もはや気力がでなく、ダウンした。自分で読んでダメな記事は人が読んでもダメ、みたいなことを書いた。あってると思うが。

 

深夜はやることがない。ひたすら横になる。眠れもしない。というか、結局仏像を彫らないと眠れない、ということが分かってきた。少し彫ればおさまるからまあ、いいんだが。

 

で、少しだけ彫った。顔の輪郭を整えた。大雑把な感じに仕上げた。法衣のひだの部分も彫りたかったが、トースカン(凹凸のあるところに真っ直ぐ線を引く機械)がないため、それができなかった。

 

体調が良かったころは、近々京都でもいって仏像でも拝んでくるか、とか思っていたが、急転直下して、また戻ってきたのでいつか京都に行ってみたい。仏像のご利益を感じたい。

 

おれは、毎日修行している、と言っている人がいる。その人は普通に働いている人だ。しかし、毎日、記事や読書などをしていると、ああ、こういうことか、と思うこともある。

 

日々の実践が、修行なのだと。食うことすら修行に思えてくくることもある。米原英雄先生は、毎日の仕事に精を出す人を「如来」と言った。

 

北大の文化人類学の専門家の小田博志先生は、タクシーの運転手も、主婦も大学の研究者であろうと、何かを実践していることには変わりはない、と書いていた。貴賤はないと。

 

とりあえず、今は、俺にとって「寝る」ことと、記事を書くことが、実践なのだろう。