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ひきこもりとニート

ひきこもりやニートは生存している。労働せずに。世間では労働している人よりひきこもりやニートが不幸のような扱われる。多少不思議だ。

 

一方で精神障がい者は、多少労働する。工賃を得る。そして、障がい者年金をもらいながら、生活する。ひきこもりとの違いはなんだろうか?

 

精神障がい者のほうがハッピーに暮らしているように感じる。彼らにはいく場所と居場所がある。それは国や自治体あるいは思想的にも守られている。

 

ひきこもりやニートはそうはいかない。生存するにのは全く苦ではない。しかし、文化的というとそれは全くないだろう。無限の孤独と闘わなければならない。

 

なぜこのような差が生まれるのだろうか。それは、ひきこもりが精神障がい者と違って、闘う対象をハッキリさせていないことに起因しているのではないだろうか。

 

精神障がい者は自分の心と闘うとハッキリと決めている(必然的だが)、ひきこもりやニートは何と闘うべきかハッキリとしていない。どいうことかというと、彼らは自分の社会的ポジションだったりを、気にしている。それは外の物理的か世界に眼をむけている、ともいえる。しかし、そういったことを考えすぎて、あるいは、職場などの物理的な人間関係が嫌で外の世界に出ないでいる、

 

彼らは自分の心と対決すべきか、外の世界と対決すべきか、曖昧なのだ。それゆえに、ダラダラと繭の中で過ごすことになる。

 

結論。ひきこもりやニートはとりあえず、外の世界に眼を向けず、自分の心と格闘したほうがいいのではないか。自分の心を成長させてくれるのは他人である。彼らはマイルドに、ストレスのない集団に緩やかに接近すべきであると考える。。