仏を彫る
仏頭を彫っている。地蔵、阿弥陀如来、聖観音など様々だ。メルカリで販売したりしていた。
しかし、ある仏師の方からそれはしてはいけないと言われた。未熟なものを販売しては祈る人に対する責任を放棄していると言われたのだ。
そして、それは仏像彫刻の歴史に対する冒涜だとも言われた。ショックだった。この年になってこんなに怒られたのは久しぶりだった。
正直歴史に対する冒涜とか言われてもわからない。責任ということに対してはなんとなくわかる。なんでいけないんですか?と反発した。
しかし、とりあえず言われた通りにした。現在メルカリで販売している仏頭を全部出品停止にした。
すると不思議と仏像彫刻に向き合う気持ちが変わった。何か心の淀みのようなものが消えたのだ。なるほど先生の言っていたことはこういうことなのかと感じいった。
仏を彫るということは自分と向き合わなければならない。それが販売することでオナニー(そう言われた)になってしまい、何か大切なものを失っていたようだ。
それからは、自分のうちなる仏様に向き合うようになった。これは完璧な形で世の中に出してやらなけらばならないと感じるようになった。
だから、今はメルカリで販売することなく、自分の技術の向上のためだけに彫っている。
先生曰く、修行とはそういうものなんだそうだ。